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暴力団ニュース~ヤクザ事件簿

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全国ヤクザ事情

六代目襲名から10年 元直参組長が初めて明かした山口組「クーデター」の真実

■山口組の謎が明らかに

 圧巻は、六代目山口組に対する「謀反の会合」を回想するシーンだ。一心会川崎昌彦会長(当時)が次の一言を放つ。

 「やるんやったら、黙っとらんと、俺のまえに道具とカネを積まんかい」

 即座に、太田会太田守正会長(同)がこう反応した。

 「川崎の兄弟がやると言うのなら、わしもやるで!」

 暴力団社会では謎とされ、暴力団の世界を追う実話系雑誌にも真相が明らかにされていない2008年の「六代目山口組造反劇」の経緯が、初めて綴られた。六代目山口組執行部に対する造反は、計画が整わないまま未遂に終わり、太田守正川崎昌彦らの除籍処分につながっている。  構成員と準構成員を合わせて約1000名を擁し、広域暴力団山口組のなかでも最大級の勢力を誇っていた「太田会」。このたび、サイゾーより太田守正執筆の注目の書が発売された。タイトルは、「これはわしからの血の証言であり、別れの書である」(帯のキャッチコピー)という意味で『血別』。

 太田守正は典型的な武闘派である。「決して退くな」「やられたらやり返せ」をモットーに、山口組直系組織となる前の山口組山健組太田興業の時代から東京に進出、稲川会住吉会など関東の広域暴力団と激しい抗争を繰り返しながら山口組の橋頭堡を築いた。

 太田守正は08年の除籍処分を受けて引退するが、山口組への“思い”は断ち切れず、なかでも同じ山健組出身の元直参組長・盛力健児が著した『鎮魂』への反発が強かった。
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■沈黙を破る理由 

 太田守正が『血別』のなかで明かしているように、五代目山口組渡辺芳則組長の頃から、山口組では「沈黙」が強制され、マスコミ取材に応じたものは厳しく罰せられた。

 今もその方針に変わりはないが、引退すれば組織の縛りは受けないということで、山口組直系組織の(「元」ではあるが)組長が語りだしたのだ。ここ数年の間に「独白本」が続出。最初は、五代目山口組で若頭補佐を務めた後藤忠政の『憚りながら』で、次が『鎮魂』、そして『血別』と続いた。

 前2作は売れた。『憚りながら』が25万部(文庫も含む)、『鎮魂』(同)が20万部である。理由は簡単である。盃事で生じる「親子」「兄弟」の擬似的な人間関係が、組の強い絆となって暴力装置としての強さを生み、カネと女と権力が寄ってきて、そこに抗争事件を含む数々のドラマが生まれるからだ。

 一般国民にとって、暴力団は接することの少ない非日常世界の住人であり、「組のための命のやりとり」は、映画や小説の類と同じ視点で眺めており、実感はない。典型が、今年100周年を迎えた山口組の内部権力抗争である。どこまでいっても「裏世界」である山口組で起きた主導権争いは、実体社会に何の影響力も及ばさず、だから逆に“暴力団好き”は、興味深く見守っている。

 そこに切り込んだのが盛力健児だった。この20年の山口組内の抗争史をこう総括した。

 京都に進出した山口組中野会中野太郎組長を、96年7月、地元の会津小鉄会の組員が銃撃。用心していた中野太郎は難を逃れたが、立腹したのは山口組若頭の宅見勝が、抗争になるところをカネで解決したことだ。

 「会津小鉄のバックは宅見勝」であることを疑った中野太郎は、翌97年8月、配下に命じて神戸のオリエンタルホテルで歓談中の宅見勝を襲撃、射殺する。それを了解していたのが、五代目山口組渡辺芳則組長だった。

 この宅見勝襲撃事件の真相は、長く山口組内にくずぶり、05年7月28日の「山口組六代目襲名クーデター」につながった。この日、若頭に就いて2カ月だった司忍が、宅見組を継いだ入江禎に、(中野と渡辺が宅見襲撃を話し合った)テープなどの証拠をもとに、「入江よ、親の仇は取らなあかん!」と強く言い、渡辺芳則はがっくりと首をうなだれ、引退を決意した――。

 事実だとすれば、当時、3万人を超える勢力を誇った山口組で起こっていたのは、権謀術数を凝らしたゲームであり、「親子」「兄弟」の骨肉の争いであり、醜くはあるがその分、ドラマ性に富む。

■アウトロー史の深みが増す

 だが、それを危惧した太田が、『血別』で言いたかったのは、山口組ウォッチャーなどで語り継がれていた中野太郎襲撃から宅見射殺を経て六代目クーデターに至る「三題噺」が、「盛力本」によって裏打ちされ、事実にされてしまうことだった。

 「(クーデターの)根拠は、『(五代目と中野太郎の会話を録音した)テープなんか、それとも他のもんなんか俺にはわからんよ。けど、動かぬ証拠であったことは間違いない』という。単なる自分の推論を、自分で『間違いない』と強弁するのだ。『俺にはわからん』けど、『間違いない』と。いったいこれが、勝手な妄想でなくて何であろうか――」

 暴対法の度重なる改正と暴排条例の全国施行で、暴力団社会は様変わりし、抗争を起こさない平和外交路線が定着した。

 独白本を上梓した後藤忠政盛力健児太田守正の3人は、高度経済成長の最中に急成長した山口組を支え、いずれも武闘派と恐れられ、「時代の波」に乗り遅れたように、六代目体制で弾かれて除籍処分を受け、引退した。今後も山口組は存続するが、縮小均衡は間違いなく、太田守正が『血別』で記した大阪戦争から山一抗争に至る死者が何十人も出るような大抗争は起きず、若頭射殺事件のような大活劇は繰り返されないだろう。

 そういう意味で、山口組は歴史となり、物語となった。その検証作業を、盛力健児は想像も交えてストーリーを作り上げ、盛力健児を批判する太田は、自分の体験に従って、誠実に「山口組史」を語った。

 太田守正77歳、盛力健児74歳――。

 老境に入った2人の元ヤクザがタブーを破って語り始めたことで、日本のアウトロー史の本流である「山口組物語」がさまざまな角度から語られ、深みをますのは、日本の戦後を振り返る意味においても悪いことではない。

  

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