山口組5代目組長の渡辺芳則氏死去 映画のモデルにも
>>関連記事
指定暴力団山口組(本部・神戸市灘区)の前組長で、05年に引退した渡辺芳則5代目組長(71)が死亡したことが1日、捜査関係者への取材で分かった。
1日朝に病死しているのが発見されたとの情報があり、事件性はないとみられるが、詳細は不明という。
渡辺前組長は栃木県出身。中学校を卒業して上京し、17歳で暴力団員に。直参と呼ばれる直系団体の山健組の2代目組長を経て、山口組が分裂して抗争をくり返した「山一抗争」終結後の89年に5代目になった。
95年の阪神大震災発生直後には、組織をあげて救援物資を調達し、被災者に配布。炊き出しなども行い、海外メディアからも取り上げられた。山一抗争をモチーフとした映画「激動の1750日」(90年公開)では、俳優の中井貴一(51)が、渡辺前組長をモデルにした「若竹正則」を演じた。
新体制の下、山口組は勢力の弱かった地域に進出する動きが活発化。各地で抗争、発砲事件が相次いだことで、全国的に「暴力団排除」の機運が高まったことなどもあり91年に暴力団対策法が成立、92年に施行された。
95年、抗争事件を警戒中だった京都府警の警察官が山口組系組員に誤って射殺され、遺族が損害賠償請求訴訟を提起。最高裁が04年、この組員の使用者責任を渡辺前組長に認定すると、渡辺前組長は組織の運営を執行部に委ね、05年に体調不良を理由に引退した。
警察庁によると、山口組は11年12月末現在で、組員約1万5000人、準構成員約1万6000人。広島、沖縄両県を除く45都道府県に進出している。
◆渡辺 芳則(わたなべ・よしのり)1941年(昭16)1月8日生まれ、栃木県下都賀郡壬生町出身。山健組(神戸市)組長を経て、4代目体制発足時に山口組の若頭補佐に抜てきされる。89年に5代目組長に就任した。
指定暴力団山口組(本部・神戸市灘区)の前組長で、05年に引退した渡辺芳則5代目組長(71)が死亡したことが1日、捜査関係者への取材で分かった。
1日朝に病死しているのが発見されたとの情報があり、事件性はないとみられるが、詳細は不明という。
渡辺前組長は栃木県出身。中学校を卒業して上京し、17歳で暴力団員に。直参と呼ばれる直系団体の山健組の2代目組長を経て、山口組が分裂して抗争をくり返した「山一抗争」終結後の89年に5代目になった。
95年の阪神大震災発生直後には、組織をあげて救援物資を調達し、被災者に配布。炊き出しなども行い、海外メディアからも取り上げられた。山一抗争をモチーフとした映画「激動の1750日」(90年公開)では、俳優の中井貴一(51)が、渡辺前組長をモデルにした「若竹正則」を演じた。
新体制の下、山口組は勢力の弱かった地域に進出する動きが活発化。各地で抗争、発砲事件が相次いだことで、全国的に「暴力団排除」の機運が高まったことなどもあり91年に暴力団対策法が成立、92年に施行された。
95年、抗争事件を警戒中だった京都府警の警察官が山口組系組員に誤って射殺され、遺族が損害賠償請求訴訟を提起。最高裁が04年、この組員の使用者責任を渡辺前組長に認定すると、渡辺前組長は組織の運営を執行部に委ね、05年に体調不良を理由に引退した。
警察庁によると、山口組は11年12月末現在で、組員約1万5000人、準構成員約1万6000人。広島、沖縄両県を除く45都道府県に進出している。
◆渡辺 芳則(わたなべ・よしのり)1941年(昭16)1月8日生まれ、栃木県下都賀郡壬生町出身。山健組(神戸市)組長を経て、4代目体制発足時に山口組の若頭補佐に抜てきされる。89年に5代目組長に就任した。
女性はねられ死亡 広島市中区の市道/広島
この記事はブロとものみ閲覧できます