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【88年1月8日】尾崎豊、覚せい剤所持で逮捕 実父が警察に通報
(2010.01.08/14:54) |

 シンガー・ソングライター尾崎豊(22)が覚せい剤取締法違反(不法所持)の疑いで1997年12月22日に東京・戸塚署に逮捕されていたことが明らかになった。

 尾崎は若者たちの将来に対する不安感や大人への不信感、いら立ちなどを歌い上げた「卒業」「十七歳の地図」などでティーンエージャーのカリスマと呼ばれた。だが、逮捕される直前は極度のスランプに陥っており、新アルバムの発売は無期限延期。周囲には「歌が作れない」など、苦しい胸の内を明かしていた。

 調べによると、尾崎は97年8月末、東京・新宿で売人から覚せい剤0・2グラムを2万円で買った。その後も4回購入し、1回0・02グラムずつ計10回、口から摂取。覚せい剤は使い切らず3、4回使っては捨てていた。

 全国ツアー中だった9月28日にダウンし、以降は休養生活に入ったが、実際は覚せい剤の中毒症状によるものだった。不眠、食欲減退、幻覚、幻聴などに悩まされ、秋から冬にかけて病院に2度入院した。

 もちろん家族は尾崎の異変に気付いていた。法廷に立った父親・健一さんの証言によると、12月ごろの尾崎は「突然、黙ったかと思うと、奇妙なことを口走る」状態。部屋に置いてあったメモの番号に電話をかけると暴力団関係者と思われる相手につながったという。

 12月21日、尾崎は入院中だった病院を抜け出して自宅に帰宅。さらに、覚せい剤を手に入れるため、夜の新宿を訪れた。22時ごろ家に戻ったが、翌22日2時すぎ、父親が自宅トイレで覚せい剤の残骸を発見。「このままではダメになってしまう」と覚悟を決め、警察に通報した。

 初公判は2月9日に行われ、尾崎は全面的に容疑を認めた。今後について問われると「できれば歌っていきたい」。自らの意志で保釈申請を断り、2カ月以上の拘留中に考えて出した結論だった。「最初は親がどうして警察に通報したのか理解できなかった、でもきっぱり(覚せい剤と)縁を切るいいきっかけになった」と再起を誓った。

 2月22日には懲役1年6月(執行猶予3年)の判決を受け、小菅・東京拘置所を出所した。拘置所の前には500人以上のファンが訪れ、ヒット曲「存在」などを合唱。釈放を喜び、泣き崩れるファンもいた。

 「ノン・ドラッグという姿勢、もう2度と覚せい剤いは手を出しませんという明確な自分の中の決意を伝えなきゃいけない」。釈放直後、週刊誌のインタビューで尾崎はそう語っている。4カ月後の6月22日にはフジテレビ「夜のヒットスタジオデラックス」に出演して芸能活動を再開。前日発売されたばかりの「太陽の破片」を一言一言、かみしめるように歌い上げた。

 1992年4月25日、尾崎の突然の死は日本中に衝撃を与えた。死亡状況に不明な点が多いことから、死んだ原因については様々な憶測が流れた。だが、司法解剖時に検死を担当した支倉逸人氏は著書「検死秘録」の中で、大量の覚せい剤服用が肺水腫を引き起こし、死亡したと結論付けている。

 言葉にならない怒り、寂しさ、葛藤…外に向かって心の叫びを訴え続けた尾崎の命を奪ったのは、抑えることができなかった、自分自身の“弱さ”だったのかもしれない。


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