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暴力団ニュース~ヤクザ事件簿

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山口組3代目狙撃「取った、手応えあった」そう告げた…「ベラミ」事件首謀者は牧師になった

 大阪戦争-。40年前の昭和50年7月26日、後にこう呼ばれる暴力団抗争の火ぶたが切られた。大阪府豊中市の喫茶店で、山口組系組員3人が松田組傘下組員らに射殺された。暴力団がその残忍さを世間に見せつけた報復合戦は熾烈(しれつ)を極め、53年7月には、京都のナイトクラブ「ベラミ」で山口組三代目組長の田岡一雄=当時(65)=が狙撃される。このベラミ事件の首謀者は、松田組系「大日本正義団」二代目会長の吉田芳幸(72)。「いつ死んでもいいと腹をくくった」と振り返る。

■「田岡が来ました」

 それほどの覚悟で山口組のトップを狙ったのには理由があった。ベラミ事件の約2年前、初代会長で兄の吉田芳弘=同(35)=を山口組系の組員に射殺されていた。「このままでは絶対終わらせない」。組員らは吉田芳弘の遺骨を懐中に忍ばせていたという。

 田岡一雄がベラミに立ち寄っているとの情報が入ると、吉田は近くのマンションの一室を借り、田岡一雄が現れるのを待ち受けた。実行犯の鳴海清=同(26)=もその一人だった。

 「田岡が来ました」  蒸し暑い7月の夜。店内に潜入していた鳴海清から一報が入った。吉田芳幸は「10分間待て」とだけ伝え、配下の組幹部2人を車で急派したという。

 しかし、車は途中でパンク。2人が予定より約30分遅れて到着すると、ちょうど鳴海が店内から出てきた。鳴海清は「取った。手応えはあった」と話した。だが、鳴海清の銃弾は確かに田岡一雄の首を貫通したが、奇跡的に一命を取り留めた。

■第3次頂上作戦」へ

 当時1万人を超える組員を擁する日本最大の暴力団トップが狙撃されるという異常事態。抗争は市民の眼前でも繰り広げられ、社会が暴力団への恐怖を現実として受け止めた象徴的な事件だった。警察は暴力団の壊滅を掲げ、「第3次頂上作戦」を展開した。

 だが「警察がいくら取り締まっても、それを上回る勢いで暴れ回っていた」(捜査関係者)。山口組の報復は執拗(しつよう)で残忍だったとされ「捜索能力は警察よりも確実」と評されることもあった。警察は鳴海清を追ったが、9月に六甲山中(兵庫県)で腐乱死体で発見される。遺体には激しい暴行の痕があった。身元は、遺体に残った入れ墨をもとに彫師を探し出し、特定した。この事件は未解決のままだ。

 鳴海清が遺体で見つかったことは、警察の威信にかかわる重大事だった。大阪府警などは総力を挙げ、報復抗争にかかわった山口組の主要幹部ら282人を摘発し、傘下の7組織を解散させた。大阪戦争は53年11月、山口組が一方的に「抗争終結」を宣言し、終わりを迎えた。

■札幌で事件起こす山口組

 一方、吉田芳幸は岡山に潜伏していたが、兄 弟分の組員に連絡を取ったことで足がつき、ベラミ事件から3カ月後、府警に殺人未遂容疑で逮捕された。

 懲役5年の実刑判決を受け、札幌刑務所に収監された。北海道なら山口組の影響力が及ばないとみられたからだ。しかし、山口組系組員は札幌で次々と事件を起こし、約30人が刑務所に送り込まれてきた。吉田芳幸は「五舎(ごしゃ)」と呼ばれる独居房から外に出ることが許されない生活を強いられたという。

 その後、出所した吉田芳幸は韓国へ渡った。事件前に知り合ったクリスチャンの韓国人女性に会うためだった。女性は吉田の子を産み、育てていた。

 帰国後、結婚。妻の勧めで教会に通うようになり、回心してキリスト教の牧師となった。新約聖書に出てくる悪党のバラバに自分の姿を重ね合わせ、国内外で伝道を続けている。

  

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